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2010年6月

2010年6月20日 (日)

彷徨う男

暑い。暑くて死にそうだ。水をくれ、一滴でいいんだ、水をくれ。

砂漠のど真ん中で彷徨う私に、灼熱の太陽はお構いなしにそのギラギラと煮えたぎる光線を当ててくる。私がいたキャラバンの一行と合流するのはもはや不可能に近い距離があいてしまった。一行とはぐれてしまった今、唯一の命綱である彼らの足跡が消える前になんとしてでも前進しなければゴールまでの方角を見失うことになってしまう。そうしたら完全に終わりだ。そう焦れば焦るほど砂に足をとられてしまい思うように前に進むことができない。

「俺の人生はこの砂漠で最期を迎えるのか」

そう思うのと同時に、遠くでなにやら聞き覚えのある懐かしい音が鳴っていることに気づく。その音を正確にとらえようと耳を澄ますと、その音はやがてけたたましい電子音へと変わっていった。

いつものように目覚まし時計は7時ちょうどを指している。

今朝はやけにぐっしょりと汗をかいてしまった。砂漠の夢を見たのはこの汗のせいだ。あまりにもたくさんの汗をかいたうえ水分をとらないものだからあのような夢をみたのだ。

バブル

しかし妙に現実感のある夢だった。海岸の砂とは確実に違う砂漠の砂の質感が今もこの両手に残っている。なぜこうも砂の違いをはっきり感じるんだろう。私は砂漠になど行ったことも無いのに。

そう思って口の中がカラカラに乾いていることに気付いた。とにかく水だ。水を飲もう。

つい昨日近所のディスカウント酒屋で大量に買ってきたフランス産の1.5リットル炭酸水をまだ冷蔵庫で冷やしてもいないボトルのまま口をつけてごくごくと飲む。乾いた口の中で炭酸水の刺激が広がり、心地よい刺激と共に潤いをくれる。さらにもう一口飲んだ時何か昔の切ない記憶のようなものが形にならずに一瞬過ぎ去っていった。
私はこの一瞬の切なさを感じるために炭酸水を良く飲む。
だから昨日この安い炭酸ミネラルウォーターをあの店で見つけた時は、

「これで好きなだけ炭酸水が飲めるぞ。この町に来てよかった。」

たかが水のことで町の価値を決めるのは馬鹿げているとは思うが、昨日は本気でそう思ったのだ。

2010年6月22日 (火)

不吉な予感

炭酸水を一気にあおり喉を潤すと、汗にまみれた身体を洗うべく浴室へ向かった。朝はただでさえ時間が足りないのにシャワーを浴びるとなるといつもよりペースをあげて行動しなければならない。私の苦手とするところだ。こうなると今日は朝食をとらずに出社するパターンとなってしまうが、この汗まみれの状態を考えると朝食よりもシャワーを浴びる方が先決だ。

シャワーを浴びながらふと昨日のことを思いだした。

同僚の柏原から「君に相談したいことがあるから明日一杯飲まないか」と突然誘われた。珍しいこともあるもんだと思いつつ、相談というのはどんなことなのだろうと思いをめぐらせたが、普段あまり彼とは接点がないため一体どのような相談なのか皆目見当がつかなかった。

私がこの会社に入社したのが5年前だから、彼とはかれこれ3年の付き合いになる。

この会社に入るまで私は、某家電メーカーの営業部で働いていた。当時はノルマもあり苦労も絶えなかったがそれなりに楽しく充実もしていた。しかしある日、大学の先輩である三井から、彼が勤めてる出版社に来ないか、と誘いを受けたのである。当時この出版社は、業界初の旅の専門誌として話題となっており、営業部員の増員にやっきになっていた。噂では、各方面で活躍している腕利きの営業マンがかたっぱしから声をかけられているという話しだった。私はそのうちの一人ということになるのだが、のちに聞いてみると、スカウトされたのは私ただ一人ということだった。これまでの営業経験が買われたわけだが、入社から2年経つと、営業から今の広報部に異動となった。これまで営業畑のみで過ごしてきた私にとって広報部はまるで別世界だった。そんな不安げな私に初めて声をかけてくれたのが柏原だった。

「ハマサキツヨシさんとおっしゃられるんですか」

口元に笑みを浮かべ彼は私に問いかけてきた。

「あの、ハマザキタケシです。崎は濁ります。浜崎剛っていう名前は一見簡単そうに見えますけど意外と人によって呼び方はまちまちでして」

それが最初で最後のきちんとした会話だった。それ以降今日までの3年間、彼とは仕事上多少は話したりもしたが、それ以外プライベートでは皆無といってよいほど会話をしたことが無かった。それなのに彼はこの私を突然飲みに誘い、さらには相談したいことがあるという。いったいどういう風の吹きまわしなのだ。何故私なのだろうか。そして何故今日なのだろうか。今晩になれば全て分かることだが、何か釈然とせず、どこか薄気味悪ささえ感じる。

「だから今朝はあんな変な夢を見たのかな」

と今朝の夢が彼の誘いに関係しているかのような気分になったがそれは定かでない。

シャワーを浴びすっきりすると、一日の始まりにこれだけは欠かすことのできないコーヒーを淹れる。イタリア仕込みのエスプレッソだ。

2010年6月27日 (日)

イタリアン儀式

エスプレッソ用に絶妙な具合で粉にしてあるコーヒー豆をホルダーにたっぷり盛ってから余分な粉を落とす。
そして専用の判子のような棒でまるで大事な契約書に実印を押すかのようにホルダーの粉を強く丁寧に押して固めた後、エスプレッソマシーンにホルダーを斜め45度に取り付け、一気にハンドルを手前に向ける。

「カチン」と小気味よい音がしてハンドルが固定された。これで準備完了。
後はコーヒーを淹れるだけだ。あらかじめ温めておいたデミタスカップをセットし、抽出つまみをひねる。
遊園地のミニSLが出発する時のような音を立てながらカップにコーヒーが満たされていき、それを眺めながら良い頃合いでつまみを戻す。コーヒーから立ち上る香りが私の部屋を朝の出勤前の雰囲気に変えていく。この一連の作業とセットで楽しむ朝のエスプレッソは格別だ。今では1日を始めるための儀式のようなものになっている。

このエスプレッソマシーンはイタリア製の業務用で、業務用キッチンの施工工事を家業として継いだ中学時代の同級生の兎沢から3年ぐらい前にもらったものだ。なんでも客先のイタリア料理屋で使っていたものを最新の電子式に入れ替えるとかで引き取ってきたものらしい。奴はいきなり私の部屋に来て、

「これお前好きそうだからさお前にやるよ。まだまだ動くし、かっこいいだろ。ちょっとでかいけどな。この流し台の上でいいか?お、奥行きが足りないな。ちょっと足場を延長するか。」

とかいいながら手際よく勝手に設置していったのだ。確かにかっこはいいのだが、おかげで洗った皿やコップなどを置くスペースが無くなってしまった。まあもともと自炊をする方でもないので当初心配していたほどあまり不便は感じていない。

ふと見た壁の時計の針は8時5分を指している。
「まずい。遅刻する。」
時間がないのに朝の「儀式」をいつもどおり行ったので当然だ。
カップの底に少し残っているエスプレッソを一気に流し込み、5分で支度を済ませ部屋を飛び出すように出る。
家から駅、駅から会社と全速力で走ったこともあって会社には何とか9時前に着くことができた。
いつもはもう少し余裕を持って出社するのだが今日はあの夢のせいですべてのリズムが狂ったのだ。

パソコンの電源を入れながらふと斜め向かいの柏原を見ると、私を見ながらなんだか安心したような表情を浮かべている。まるで私が無事出社したのを見て安心しているようにも見える。

「何だろう。今日は大事な会議でもあったかな。」

などと思いながらパソコンが起動したのでメールソフトを立ち上げると柏原から短いメールが届いた。

「今日は出社しないかと思って心配したよ。今晩よろしく。」

私は遅刻せずに会社に着いた安堵感いっぱいで、今日の夜彼に誘われていたことをすっかり忘れていた。
しかし彼のあの表情といい、このメールといい一体私に何の相談があるのだろう。
なんだか好奇心の中に不確かな不安が広がっていくのを感じた。

2010年6月29日 (火)

アイドル

「おはよう、浜崎さん。どうしたの神妙な顔つきしちゃって」

隣席の木村香奈枝に声をかけられた。彼女は私より3期下の入社だが年齢は同じだ。大学を休学してイギリスに留学していたそうだ。明朗快活でスーパーモデル並みの身長である彼女は、普通にしていても目立つ存在なのだが、それに加えて誰もが振り返るほどの美貌の持ち主なのだ。会社の男どもはみな彼女のファンであり、私も何を隠そうそれらの男どものうちの一人だが、個人的に感じる彼女の魅力は顔かたちの外見ではなく、眼光鋭いその眼差しだと思う。どんなものでも見逃さない大きくて真っ黒な瞳は、まるで「あなたのことは全部お見通しよ」と語っているかのようで、彼女に睨まれたらたちまちひるんでしまう。そして彼女の美貌は私をたちまちひ弱な男へと化してしまう。

「あ、木村さん、おはよう。いや別に大したことないんだけどね」

「嫌だわ、久々の梅雨の晴れ間だっていうのに。パッと行きましょうよ、パーッと」

彼女にそう言われると、さきほどまで抱えていた不安感が嘘のように飛んで行ってしまった。そうだ、今日は久々の晴れだ。梅雨の季節独特の湿った陰気臭い日から久々に解放されるとっておきの晴れ間だ。そんな清々しい日のランチは、彼女を誘って外で弁当でも食べることにしよう。今夜は気乗りしない柏原との飲みだから、せめてそれまでは気分良く過ごしたい。

「ねえ木村さん、今日のお昼外で一緒に弁当でも食べない」

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